音へのこだわり - LCJO公演を終了して -

 現代において、僕らの毎日はあらゆる種類の便利なシステム、電気製品などに支えられて過ぎていく。そういった物は確かに素晴らしいが、一度世の中に認められてしまうと、それがなかった時の事など考えられない暮らしを僕らに強いるようになり、やがては人間が持っている五感のひらめきや感度、個人の感性や判断力を奪っていくのではないかと、僕は多少懸念している。
 今回のLCJO公演は、そういった科学に支えられているような現在に、ジャズの20世紀を総括する意味も込めたプログラムで2日間行われたのだが、僕は改めて彼らの音へのこだわりに感動と共感を覚えた。
 以前にも書いたと思うが、LCJOは15人編成のジャズのグループでありながら、ステージモニターを一切使用しないばかりか、ベースもアンプもなしで演奏する。今や日本では、クラブなどの小さい会場で行うジャズの演奏でも、ごく一部の音楽家を除き、モニター使用が普通になっている。ロックなどのエレクトリック楽器を使用する場合は致し方ないとしても、15人編成のLCJOが2000人収容のホールでも出切る事が、当たり前ではないのである。
 モニターを使用せず、楽器そのものが空気を振動させて出す音を直接聴きながら演奏するという事は、それぞれの演奏者に、自分の判断でバランスを取りながら演奏する力量というものを求めるが、それは、ひとつのバンドが生きたアンサンブルを奏でる事を可能にするし、モニターから出ている音をマイクがひろう事もなく、濁りがない純粋な演奏が客席向けのスピーカーから流れる事を可能にするのだ。モニター使用の欠点は、バンドの演奏する音のバランスを、音楽家以外の音響エンジニアに預けてしまう事にあり、それは、音楽家個々の持つ感性を鈍らせ、グループでの演奏の一体感や微妙な楽器のやりとりといったものが伝わらなくなる要素となっているように思う。
 一昨年に引き続き、LCJOのメンバー達は、絶妙なアンサンブルと力のある演奏で、ジャズの本場アメリカの魂を感じさせてくれた。きっちりとした音作りを目指し、何よりバンドとしての生のアンサンブルを大切にしているその姿勢は、今回、20世紀を代表するジャズの名曲の数々を演奏しているにもかかわらず、未来へとつながっていく新しい波を生み出していたように思った。