以前、僕はこのHPのこの場所で、非常にクオリティが高く優れた音楽批評の好例として、ニューヨークタイムズの記事を紹介したことがある。そして、残念だが、それと肩を並べることのできる音楽評が、日本ではまだまだ少ないとも書いた。
  それでも、音楽に関する文章で、僕の心に残っているものが全くないかと言うとそんな事はないわけで、ニューヨークタイムズの記事を紹介した事をきっかけに、久しぶりにそうした文章のいくつかを読み返してみた。
  今回から3回に分けて、それを掲載しつつ、僕の思っている事を少しつづってみようかと思う。
  まず1回目は「第15回ライブ・アンダー・ザ・スカイ」の公演プログラムのあとがきを、そして同じプログラムの中から、2回目は武満徹、3回目は大江健三郎の文章を。そのどれもが音楽の持つ可能性を示唆する素晴らしい内容になっている。
 「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」あとがき

  1977年7月22日にスタートしたこの「LIVE UNDER THE SKY」は、途中1年だけ休みましたが、お陰さまで今年、15回目を迎えました。人の一生でいえば、ちょうど春。難しい、それでいて将来の夢に胸の膨らむころでもあります。
  東京の田園コロシアムで開かれた第1回目のプログラムは「KIMIKO KASAI NIGHT」。以来、この音楽祭に出演した音楽家は延べ398人にのぼります。
  かつてデューク・エリントンやレナード・バーンスタインは「音楽のカテゴリーは2つしかない。よい音楽と悪い音楽だ」と言ったことがあります。「よい音楽」とは、音楽家の血が通い、聴く人が音楽家と心を通わせることのできる音楽をいいます。主催者として私たちは、この「心の通い合い」を常に心がけてきました。
  また、それぞれの時代に新しい創造を目指す音楽家の紹介にも心を砕いてきました。かのルイ・アームストロング、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンなども、意欲的な音楽祭から初めて飛躍しました。音楽の世界にも流行り廃(すた)りがあります。流行に流されやすい風潮に棹をさし、最先端に挑む音楽家を応援する。そこにも私たちの「初心」がありました。
  以来、この音楽祭は心を同じくする多くの人々に支えられ、年々,着実に成長してきました。この種のイベントには、回を重ね、規模が大きくなるにつれて、さまざまな迷いも入り込みやすいものです。そして迎えた「15の春」。いま私たちは「初心」を思い起こしています。
  よい音楽と、新しい創造。その<場>を提供する音楽祭こそ、また次の時代のよい音楽を生むと信じているからです。
これは、主催の読売新聞社と鯉沼ミュージックの連名でプログラムの最後に載せる文章として、読売新聞社の記者に依頼したものだ。手前味噌のようでいささか恐縮だが、それでもここには、僕が求めてきたものの核心に触れることのできるスピリッツを感じることができ、非常に満足したのである。
  この記者は僕の言いたい事を代弁するだけでなく、音楽の良いところも、提供する側される側のそれぞれの抱える問題点も、すべて自分なりに理解し、愛情あふれる言葉で音楽を、そして音楽祭を語っているからである。
  ライブ・アンダー・ザ・スカイが15回目を迎えたこの時、僕はこの名称での音楽祭に終止符を打つ決心をしていたので、この文章を書いた記者にもその事を伝えていた。もちろん公に決定した事ではないので、一切最後のライブ・アンダー云々という言葉は出てこないが、このプログラムを見た知人から、「鯉沼さん、ライブ・アンダー・ザ・スカイ、辞めちゃうんですか?」と聞かれた。驚くべき文章の技であると、僕は心底脱帽したのである。