武満徹さんの雅楽「秋庭歌一具」のコンサートをニューヨークで開催することを企画した時の話です。振付にジェローム・カーンの名前があがり、美術は石岡瑛子さんにお願いすることが決まった時点で、僕はリンカーン・センターに交渉に行きました。日本で行われたコンサートを収録したビデオを見せ、リンカーン・センターで開催したいことを伝えると、スケジュール担当責任者は大喜びしてスケジュール帳をにらみ「ミスター鯉沼、この日はどうでしょう。この日がベストです」と即答してくれました。
リンカーン・センターはニューヨーク・フィルの為に作られたホールです。第一優先権はニューヨーク・フィルのコンサート、二番目にニューヨーク・フィルのリハーサル、三番目にリンカーン・センター主催の催し物が優先され、それ以外の空いた日を第三者に貸し出してくれます。
「ミスター鯉沼、この日はニューヨーク・フィルのリハーサルの日ですが、夜6時きっかりに終ります。リハが終り次第準備を始め、徹夜で終えてしまえば朝一番から音楽のリハーサルに時間が使えます。これほどのパフォーマンスですから、準備に時間をとり過ぎるということはないでしょう」と語る責任者の言葉に、僕は開いた口が塞がりませんでした。日本公演のビデオを見ただけで準備に時間がかかることを見抜き、前夜から会場を押さえられる日程を彼は探してくれたのです。 いい出し物に練り上げるためには準備期間を充分に確保して、リハーサルもみっちりやらなければならないことを会場側から提言されるとは。勿論、アメリカはユニオンが確立していますから、徹夜になればそれ相応のお金は嵩みます。しかし、いいステージを実現するために物事を逆算してくれる考え方がうれしいのです。次に舞台管理責任者と打ちあわせをしました。
ステージや楽屋などを点検している時、彼に、リンカーン・センターの客席に座ってステージを見たことがあるかと尋ねられたので、残念ながらニューヨーク・フィルを聞いたことはないけれど、マイルス・デイビスの復帰コンサートは客席で見たよと答えました。すると「おい、お前はあのコンサートを見たのか、俺もあの日はオフだったのでチケットを買って客席にいたんだ」と言い、その日のマーカス・ミラーの素晴らしさを懐かしそうに語り始めたのです。ニューヨーク・フィルの本拠地リンカーン・センターに働く舞台管理者が、休日にチケットを買って自分の職場にマイルスのコンサートを見に来て感動した話しをうれしそうにしている、その姿は何とも素敵でした。世界に名だたる武満さんのコンサートを切り出したことで、先方も見ず知らずの日本のプロモーターのプランに親身に相談にのってくれたことだとは思いますが、音楽を愛し、深く理解している多くのミュージック・ピープルたちに丁寧に管理・運営されているリンカーン・センターは、何て幸せな会場なのでしょう。
昔、日本のある会場の総支配人に、コンサートを完璧にしたいので何とか一時間早く搬入させてもらえないかとお願いした時、彼に「僕に音楽の話しをされても困るんです。僕は音楽は分かりませんから」と言われました。音楽を愛す心に洋の東西の区別はないはず。日本と欧米の音楽関係者の温度差が縮まる日がいつかは来ることを僕は今でも信じています。