Koinuma's Note

久しぶりに富樫雅彦と電話で話した。  音楽に関する様々な事を語り合ったのだが、その中で、ちょっと興味深い話を聞いたのでここで紹介しよう。
 10年以上前の事になるが、彼がジャズ・ドラマーとして、パリ管弦楽団の本拠地として有名なホールでコンサートを行った時の事である。会場となるホールに彼が初めて訪れた日に、舞台袖にかなりの種類の打楽器が置かれているのに気づき、その光景にみとれてしまったそうだ。ジャズ・ドラマーというよりは、パーカッショニストとして活躍している彼の事だから、これは当然だろう。
 そして、いよいよリハーサルという時、ステージ上には、彼の為に3台のゴングも用意されていたそうなのである。通常、ジャズのドラマーはゴングは使用しないものだし、不思議に思っていると、このコンサートのホール担当だという男性が現れて、こう言ったそうだ。
 「私は、富樫さんの音楽について、申し訳ないけれど、あまり詳しくなかったので、今回の公演を控えて、あなたのアルバム5枚を聴いて勉強したのです。その中でも『リングス』と『スピリチュアル・ネイチャー』を特に素晴らしく思いました。だから、もしかしたら、今度のコンサートでゴングを使うかもしれないなと思ったので、用意させて頂きました。サイズは私がアレンジしていますが、リクエストがあったら言って下さい。」

 彼はこの言葉を聞いてものすごく感動し、遠く日本から来たドラマーの為に、アルバムを聴いてくれた上で万全の準備をしてくれたこのスタッフに、何とか演奏で応えたいと思い、結果、良い演奏が出来たと言っていた。そして、もしかしたら、ヨーロッパでは、これが当たり前の事なのかもしれないよね、とも言っていた。  以前、アワダジン・プラットのピアノリサイタルをプロデュースした時、会場となった某ホール(本当は名称を出したいが、やめておく)の公演担当者が、休憩は20分だと伝えておいたにもかかわらず、17分たった時に、3分早いけれど本ベルを入れていいですか?と聞いてくるという、信じ難い出来事があった。
 公演担当者なら、良いコンサートを行うための努力は惜しまないのが当たり前だ。ましてや、公にタイム・テーブルを発表している以上、これはミュージシャンに対してだけでなく、観客に対しても非常に失礼な事である。
 富樫雅彦がパリのコンサート会場で受けた、音楽家への敬意とも取れる対応との差を思うと、この国の芸術を支える基盤のレベルは、今後も進歩する余地が無いのではないかとすら思ってしまう。悲観的過ぎるだろうか?