河内 こないだ、昔の番組で、オレがコルトレーンにインタビューしてるのをディスクに落としてもらっ たんだよ。放送分は前にLPのおまけでつけたんだけど。
鯉沼 あったあった。おまけのソノシート。
河内 それ以外に、デンスケで録ってるから音は悪いけど、新聞記者用にホテルで一曲演奏してる録音 が残っていたんだよ。あのときは、ちょうどベトナム戦争のときだから、ベトナム戦争をどう思います かとか、あなたの菜食主義は反戦的な考えからですかとか政治的なことばっかり聞いてるから、コルト レーンもイエスとかノーとかほとんどしゃべってないの。もっと別のこと聞いておけばよかったなぁと 思ってさ(笑)。オレがやったことで、日本のジャズに多少のプラスになったと自慢できるのはさ。渡 辺貞夫さん、菊池雅章、佐藤允彦、この三人がバークレー(音楽院。現・音楽大学)に行くときに、留 学審査のテープを作ったってこと。オレが、というかTBSのスタジオを利用して、なんだけど。
鯉沼 そうそう。あれ、河内さんなんだよな。
河内 審査を上位で通ると奨学金が出るんです。逆にそれが出ないと留学しずらかった時代だよね。で、 貞夫さんと佐藤允彦が一等、菊池だけ二等だったんで、いまでも菊池が怒るんだ。菊池が考えたのは、 ピアノのソロを十回弾いてそれを重ねていくということで、いまならデジタルで簡単だけど、当時はね。 録音機を十台用意して「ヨーイドン」で押すんだけど、どうしてもずれるんだよ。
鯉沼 そりゃそうだ。
河内 深夜放送が終わった十二時半ごろに倉庫からカギ持ち出して、夜中のスタジオでさ、ドラムの富 樫(雅彦)くんが、メトロノーム見ながら人間時計になって(笑)。そのあと、バークレーから戻った 貞夫さんが「VAN MUSIC BREAK」でボサノバを流行らせるでしょ。ギャラリーエイトもそのころだ よね。
鯉沼 そう。ギャラリーエイトといえば八木正生、渡辺貞夫だ。
河内 その少し前、帰ってきたばかりの貞夫さんと最初に仕事したのがオレだと思うんだよ。しかもジャ ズじゃなくて劇伴( げきばん) で頼んで。宇野千代の『わたしの青春物語』の朗読で、朗読は市原悦子だっ たと思う。とにかく一度仕事がしたいから、こんなので悪いけどって電話したら「やるけどね、河内くん。 電話でああだこうだという、いままでの日本の頼み方はおかしいと思うんだよ」ってね。わかりました、 上司と相談しますといってとりあえず来てもらったの。
鯉沼 元気だねぇ。
河内 アメリカなら約束の五分前に必ず来て、一時間なら一時間やって五分前には帰るんだ。ぼくは日 本の音楽界のいけないところを直すために向こうで勉強してきたんだと。かっこいいんだよ。その次が 八城一夫トリオの仕事。当時はまだ渡辺貞夫といってもそんなにパワーがなくて、コンサート会場もな かなかとれなかったんだ。ポスター手書きで作ったもん。で、番組で宣伝することにしたんだ。文明堂 提供の「ランプシェード・ミュージック」って番組。貞夫さん、ギャラは安いんですがってお願いしたら「い いよいいよ」って出演料も決めずにあっさり。あれから一ヶ月しか経ってないのに、すっかり日本風に 戻ってんの(笑)。だけどシャープにしろ貞夫さんたちにしろ、ジャズも日本を背負って立つという感 覚の時代だったんだろうな。アメリカの進駐軍とジャズって関係があるじゃない。武満徹さんだってね。
鯉沼 武満さんは一時キャンプに住み込みになったの。昔、Vディスクってあっただろ。ビクトリーのV。 知ってる?
河内 知ってるよぉ。戦地の兵隊たちを慰めるために作ったレコードで、別々の契約会社専属のミュー ジシャンが、戦時昂揚のために集められたとんでもなく特別な編成で。
鯉沼 そのVディスクが、キャンプにガッパリあったんだって。住み込みでアルバイトして、仕事が終 わってから、Vディスクで徹底的にジャズを勉強してたんだ、あの人。
河内 武満さん、ジャズうまいもんね。
鯉沼 エリントンなんか弾かせたら最高ですよ。アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーがアメ リカのパーマネントコンボとして初来日したときに、ドラムだけブレイキーが入る形にした日本の合同 バンドつくったの。でも、モードなんて聴くの初めてだろ。あのクラスの人たちだからデタラメなわけ ないよなって、そのくらいにしか聴こえなかった。
河内 それこそ、バークレーから貞夫さんが戻るまでは、みんなモードってものを知らなかったわけで しょ。それまではコード、和音しか知らなかったという。
鯉沼 ところが武満さんにその話をしたら、「ぼくは映画音楽で、もうモードを書いていますよ」とい われた。石原裕次郎の「太平洋ひとりぼっち」がそうなんだよ。モードなら、バークレーに行かなくて もボクが教えてあげたのにといってた(笑)。Vディスクのおかげだっていってたよ。
河内 赤坂に越してから二年目のTBSに入ってレコード資料室をつくったんだよ。で、上司と、麻布 までVディスクを買いに行ったことがある。リヤカー引いて(笑)、だからTBSには、まだかなりの Vディスクがしまってあると思うよ。
鯉沼 オレは十枚ぐらい貞夫さんにもらった。ある朝、ランニングをしてたら捨ててあったんだって。 Vディスクって大きくて普通のプレーヤーじゃかからないからだろうね。みんなどっかいっちゃったけ ど。
河内 あのころ深夜、っていっても、当時の深夜帯は十一時ぐらいなんだけど、DJの大村麻梨子さん のラジオ番組があったんだ。彼女の進駐軍の軍人さんだった旦那がジャズがムチャクチャに好きだった わけ。普通のリクエストの他に、最後の十五分ぐらいが好き勝手やって、ナット・キング・コールのピ アニスト時代とかビックス・バイダー・ベックのヨーロッパ時代とか、オタクが喜びそうなものを流す んですよ(笑)。ホント楽しかった。スポンサーがいなくてもなぜかそういう番組やってたな。オレ、 スポンサーを気にしたことがないんで。
鯉沼 この人は、局からいわれたことでもやりたくなきゃやらないからね。
河内 そんなことはないよ(笑)。
鯉沼 でも最後は、スポンサーがまったくない三十分番組をやってたじゃない。
河内 自閉症の子供のドキュメンタリーなんてのは、そう。自閉症の原因は世の中にあり、その世の中 を悪くしてるのはコマーシャルであると思ってたからね。民放でそれいっちゃいけないよな(笑)。さ すがに番組の前後には入れたけど、中には入れないようにしたんだよ。