antonio farao
1963年 神奈川県生まれ。ある種の音楽におけるエキゾティシズム、オリエンタリズムと言えるような状態を日本のジャズが克服し、それはそれであらたな問題(ポピュリズム?)を抱え始めた頃、石井彰たちの世代は育った。聴いたこともないような音に到達できる肉体、起こりうるすべての可能性をキャツチする醒めた意識、直観的な能力への幻想が造り上げたユートピア“ジャズランド”への獰猛な欲望は石井たちの世代にとって、すでに夢のようなもの、あるいは意識の日が届くことのない深い場所に封印された衝動のようなものに取って代わってしまっていた。武満徹、メシアン、マイルス・デイビス、キース・ジャレット、イヴァン・リンス、EWF、すべてが同時に彼の無意識にコラージュされ、今日の彼の音楽は準備された。あらゆることが許された世代のようにも言われ、すべてが手を付けられてしまった世代、という風にも語られた。マニュアル化されたジャズの時代とも言われた。すでに石井たちの前でジャズは何度も死を告げられていた。
「ジャズピアニストにとって、いまの、新しい音楽とは?」という質問は石井にとっておそらく過酷であり不愉快なものに違いない。というのも彼はピアニストにとってのジャズを考え、音楽家としてのジャズを構想しているのだからだ。もちろん彼がジャズを演奏する喜び、ジャズにたどり着く気持ちよさを、ピアノを弾く手触りの中に求めてしまうピアニストであるに違いない。しかし、スティーブ・スワロー、イヴァン・リンスが、特別に石井の手に触れた彼らの音を喜び愛しているのは、そんな石井の指の動きにジャズを聴くからではない。さまざまな音楽を同時に受け入れてしまった世代特有の、ピュアで無垢な手つきが手繰り寄せる曲そのものといえるような、新しい響き、が聴こえてくるからだという。今日、すでに四枚のアルバムをリリースした石井の手が手繰りよせるのは、彼自身の音楽の新しい姿、響き、古びた音楽の懐かしい響き、新しい響き。手繰り寄せる、そんな手つきこそがジャズ、というなら石井のピアノはきっとジャズなのだろう。

ewe(イーストワークス エンターティンメント) 高見一樹


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