今年もこの3人と一緒に仕事ができた。
JackとGaryは2001年のトリオ以来3年ぶり、Keithは2002年のSolo以来1年半ぶりの再会である。 相変わらず新しいもの好きのJackは、オクターブ・ベル(C〜Bまでの13枚の小シンバル)を持ってきた。自在アームにやたらとネジが多いこのベルは、一枚一枚の位置と角度を調整するのが大変で、前回よりドラムテクも兼務している光栄な(?)僕を、セッティングの度にイラつかせた。Garyは一時期の険しさが少し抜けたようだ。大病のあと何か超越したかのようである。Keithの集中力は相変わらず凄かった。いつも出たとこ勝負のこの3人、今回も事前に曲目は出なかった。 来日間近に追加のオーダーが入った。 Garyから、in-ear monitorを試したいので手配して欲しいとの依頼であった。多くのロックミュージシャンが使用している物だが、我々はあまり気が進まなかった・・・。他の微妙な音が聞こえにくくなるからである。リハーサルで試した結果、in-ear monitorを使用することになった。さしたる問題はなかったようだが、これはPAスタッフの苦心の結果だと思う。しかし、僕が初日聞いた感じではGaryのスケールが高音域に集中しているようだった。 大阪フェスティバルホールでの公演日、突然、Garyはin-ear monitorを外してプレイすることにチャレンジした。 Garyにとってかなりの勇気と決断を必要としたことが想像できる。Garyのチャレンジで全体のダイナミック・レンジが拡がったように感じたのは僕だけだろうか。その晩、袖から見る3人の姿は、互いの信頼感がより深く、楽しそうに演奏しているように思えた。KeithとJackの説得か、聴衆からのパワーがGaryに勇気を与えたのか。いずれにしてもGaryを後押しする何らかのドラマがあったに違いない。このような現実を見ながら、彼らの演奏を見守るのはまた格別の思いがする。 イメージだ、デフォルメだと言いながら、嘘スレスレに先走り、あそび散らかしたまま誰も責任を取らないコマーシャリズムに支配され、音楽、芸術までメディア・コントロールされている現代。見わたせる空間を、聴衆とともに最大限に膨らませた「今」を見届けられるこの仕事が僕は好きである。結末まで責任を見届けられる“嘘のない”“逃げ場のない”この仕事を、信頼できるスタッフとともに成し遂げた時の歓びは何にも代えがたい。 皆さん、会場で体験した感動と興奮を明日誰かに伝えましょう。音楽の世界がメディア・コントロールされないように! 演奏終了後、渦巻く大きな拍手と大歓声のなか、だらりと腕を下げた「例のポーズ」でふかぶかとお辞儀をしているKeith, Gary, Jackの姿。スタッフにとってそれまでの重責が歓びに変わる瞬間でもある。 |