Jazz Workshop
オリジナルの楽譜通り正確にスタンダード曲を覚えた、
保守的な土地ボストンのクラブでの日々

 バークリー時代によく出入りしたボストンのクラブ《ジャズ・ワークショップ》はいろいろな意味で私の出発点になっている。1階がジャズ・クラブ、2階はバーになっていて、学生だった私は2階のバーで歌伴の仕事をアルバイトでやっていた。16歳か17歳の頃だ。休憩時間には階下に降りて有名ミュージシャンの演奏が聴けた。ある時、地元の有名トランペッター、ハーブ・ポメロイがカルテットで演奏するというので聴きに降りると、バークリーで私のピアノの先生だったレイ・サンティシがピアノ、ベースはジョン・ネヴェスだった。先生のレイ・サンティシが私を見つけて、「君とはどこかで会ったことがあるね、ピアノを弾くんだろ?」と言うので、「ハイ」と返事すると、「どうだい、代りにピアノを弾いてみるかい?」と促されたので、「ドラマーは?」と訊くと、あの有名なピート・ラロカでね。ピート・ラロカが、私が初めて共演した有名ミュージシャンなんだ。ゲイリー・ピーコックが在籍していた時代のビル・エヴァンス・トリオを初めて聴いたのも《ジャズ・ワークショップ》だったし、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズと初めて一緒に演奏したのもこのクラブで、ブレイキーと共演した翌日にチャールス・ロイドから一緒にツアーに出ないかと誘いを受けた。その後、1974年には自身のカルテットで出演したが、その時に聴きに来た女性の一人が私の最初のワイフになったんだ。
 ボストンはものすごく保守的なところで、ミュージシャンも、スタンダードを演奏する時は出版されたオリジナルの楽譜通りにメロディやハーモニーを演奏しなきゃいけない、という考えに凝り固まっていた。すごく保守的だが逆に考えれば、それだけオリジナルを正確に覚えることができるわけでね。《ジャズ・ワークショップ》で歌手の伴奏をやりだした頃、ブッキングを担当していたクラブのエージェントから、いわゆる《1001》と呼ばれる分厚い曲集を6冊も渡され、「できるだけ曲を憶えろ!」と厳しく言われた。つまり、ポピュラー音楽を仕事にしていた時代から越えなければならない課題がいくらもあり、それが今となってはすばらしい体験になっている。だから私は、トリオで演奏するスタンダード・ナンバーの歌詞は全部知っているし、どういう内容の歌なのかを知っていると曲を弾き分けることができるんだ。