Empathy
ステージに出る時、演奏している時、常に持っている
「これが最後かもしれない」という緊張感

 この20年間というもの、このトリオはステージに立つたびに未知なる音を体験し続けてきた。毎回、自分たちの想像を超える音楽になっていくんだよ。マンネリ状態に陥らなかったということは驚くべきことだと思う。もしそういう事態に陥ったとすれば私たち自身が一番よくわかることだし、キースも私もすぐに「もうやめよう」といってるはずなんだ。じっさいはその逆で、このトリオはますます創造性を高め、音楽は奥の深さを増す一方だ。20年間、私はただの1度だってキースが手抜きの演奏をしたのを見たことがない。つねに何かをやろうと命がけだ。だから私もそうならざるを得ない。ジャックも同じように感じ毎回真剣勝負でプレイしていて、ジャックや私のそういう姿勢の演奏に応えようと、キースはさらにわれわれに挑みかかってくる。だからこのトリオのステージは毎回、「これが最後かもしれない」というような真剣な気持ちで演奏されているんだよ。
 そういう抜き差しならない緊張感と決意の上に、このトリオは成り立っているんだ。私はマイルス・デイヴィスとプレイしていたとき、「どうしたらマイルスのようにひとつの音ですべてを語り尽くすような音が生み出せるか」と真剣に考えたものだった。ところがマイルスは来る日も来る日も、私に同じような体験をさせた。ああいう音というのは、「これが最初で最後の音だ」というほどの気概を込めないと生まれ出てはこないもので、マイルスはその瞬間の自分自身のすべてを“その音”に注ぎ込んでいたんだ。それは心と体が完全にひとつになる瞬間であり、そうすることがマイルスの音楽に対する姿勢だった。あの頃と同じような体験を、いまの私はキースとジャックとのこのトリオでしている。私はいつも、「これが最後かもしれない」という緊張感を持ってステージに立ち、演奏している。だいたい人間の命なんてはかないもので、心臓発作でもおこせば3秒ほどで生命が亡くなったりもするんだからね。私やキースやジャックがいつプレイできなくなるかは神のみぞ知る。「どういう死に方がしたいのか」と、私はいつも自分に問いかけている。悔いの残る演奏をして後悔しながら死んでいくなんて御免だし、私の生き方ではない。自分の人生を極限にまで高めて天に召されたい。単なる仕事として演奏するか、命を賭して演奏するか……私は単なる仕事としての演奏なんかに一切興味はない。