GETTIN' INTO THE SWING OF THINGS
( Mainichi Daily News ,Friday,February 25,2000)
Translated with permission of Mainichi Daily News COPY RIGHT OF MAINICHI DAILY NEWS
Written by Wayne Gabel
「一般に信じられているのとは反対に、少なくとも、音楽の領土に於いて、アメリカ合衆国には、長年、王侯貴族が存在した。しかし、「キング オブ ロックンロール」や「ポップのプリンス」が存在した以前に、もうちょっと控えめな称号を持った貴族がいた。
 Edward Kennedy "Duke" Ellington だ。
MTVで暮らしている時代においては、もはや彼の名前が、人々にとって日常馴染みのあるもので無いとしても、それは、ニューヨーク市にある、非営利・芸術団体"Jazz at LincolnCenter"の努力が足りないという訳ではない。Lincon Center Jazz Orchestra は1999年を「The Ellington Centennial」と銘打って、故人の音楽の業績を讃える一年間の行事を行った。
Jazz at Lincoln Center のエグゼクテイヴ・プロデユーサーであり取締役である、ロブ・ギブソンはアメリカの芸術やそれ以上に大きなエンターテインメントの世界に於ける、エリントンの際立った功績をまったく感動的なものとして捉えている。
「彼は、多分20世紀アメリカの最も偉大な作曲家だ。そして我々の観点から見れば、
彼は、確かに最も偉大なジャズのシンボルだ」とギブソンは、リンカーンセンター・オーケストラが、中国でのデビュー公演と東京、大阪への再訪問を含む、2000年ワールドツアーに出発直前に、「毎日デイリー・ニューズ」の電話によるインタビューに答えて、こう語った。音楽教育と昔の曲の保存という、リンカーンセンターの任務を続けて行くため、このツアーは「エリントン生誕100周年記念イベント」の一環として行われているが、このオーケストラが過去の遺産を振り返る事は、一方ではジャズがこれから進んでいく方向を予測する事でもある。だから、2000年ツアーの各地に於けるプログラムにエリントンのスタンダード曲とJazz at Lincoln Centerの芸術監督のWynton Marsalis 等の現代の作曲家たちの新しい作品がミックスされているのだ。
これは又、1999年6月に、ソニーミュージックからリリースされたエリントンのクラシックを編集したアルバム" Live in Swing City "や、同年7月のMarsalisのオリジナル曲"Big Train"のリリースの動機付けとも言える。「一番最初に認識しなければならない、大事な事は、ジャズは生きて、呼吸している、音楽芸術なのだ という事です。だからジャズは常に前進していて、しばしば我々が予測出来ない方向に進んでいくという事です」とMarsalisは「毎日デイリーニュース」からのE-Mailによる質問に答えてくれた。「だから、一方ではDuke Ellington,Jely Roll Morton,そしてLouis Armstrongといった偉大な芸術家の業績を彼等の曲を演奏したり、勉強する事で認識させながら、我々,Jazz at Lincoln Centerは常に、色々な現存する作曲家の作品を、学生、教師、音楽家、そして一般大衆に対して、自分たちの持っている広範な教育プログラムで教育していく事や、世界中の芸術教育施設と協同関係を作り上げる事により、前進しているのです。」「我々の視点は、一部の人々がジャズの歴史を10年単位で見ているのとは違って、むしろ西洋文明の視点で見ています。」とWyntonは続ける「我々は今から50年、100年経って、ジャズはどんな風になって行くかを考えています。そしてそれが、何故我々が、世界中の出来るだけ沢山の人々にジャズを聴いて貰うために、働いているかという理由なのです。」この使命感が、間違いなく、オーケストラのメンバーたちに年間7ヶ月のツアーという犠牲を強いているのである。
「彼等は、自分達の家族よりも永く一緒にいるのです」とギブソンは説明する。確かに、メンバーの変更が無いという苦情は殆ど無い。「音楽を愛さなければならない、そして音楽を演奏する事を愛さなければならない」ギブソンは続ける「Marsalisはグループの統一性を維持する事を約束されています。もしメンバーを代えていると彼は「パート・タイム・ミュージック」になってしまうと言っています。彼等はバンドであり、ファミリーでなければならないんです」そして、もう少しギブソンは続ける「僕の言い方は、ちょっと福音伝道みたいに聞こえるかもしれないが、自分では、これはある程度、”主の御業”だと思っています」しかしながら、最近の数十年、日本やジャズ誕生の地、アメリカでもジャズは一般大衆に親しまれなくなってしまった。
ギブソンは推測する「ジャズのレコード売上は、全米のレコードセールスの4%以下だろう。これは全盛期との大きな隔たりだ。」
「アメリカでは、20年代、と特に30年代、ジャズがポピュラー・ミュージックだった時代がある」とギブソンは説明する「エリントンのバンドやカウント・ベイシーのバンドは、ベニー・グッドマン、ハリー・ジェームス、トミー・ドーシーといった白人のバンドリーダーのバンドに較べると、ポピュラーではなかったかもしれないが、それでも彼等のレコードは沢山売れたし、営業的にもやっていけたんです。でもそういう時代は終わりました」しかしながら、その時代は戻って来るだろう。Lincoln Centerの敷地内に存在する、12の団体に代表されるいろいろな芸術に較べて、ジャズはまだほんの子供で、まだまだ充分に成長し、発展する時間があるのだ。
ギブソンは言う「ジャズは不幸な事に、本当の誕生日がないのです。オペラ、バレエ、交響楽、室内楽、劇場演劇、これらは皆、ギリシャ時代、中にはもっと以前まで遡る歴史を持っています。Lincoln Centerで我々、ジャズと同年代なのは、唯一、映画です。そして映画は、1895年という証明出来る誕生日があります。ジャズに関しては、ある人々は、1880年代後半まで遡りますしJelly Roll Mortonは、自分が1904年にジャズを初めて作り上げたんだと言います。僕は1905年から1915年の期間だと思っています」ギブソンは続ける「ニューオルリンズから出てきたスウィングは、多分100才ぐらいかなっていう実感ですから、まだ大変若い芸術なんです。我々,Jazz at Lincoln Centerはニューヨーク・フィルの隣りに事務所があるんですが、ニューヨーク・フィルは、サキソフォンより6才年上です。ニューヨーク・フィルは1842年に設立されて、サキソフォンは1848年迄、作り上げられませんでした。だから時々我々は、若い楽器を使っているんです」
そして、これからもジャズの発展を確実なものにしていくのは、若い世代である。
若い観客の注目を集め、彼等が音楽を楽しむ方法を学ぶのを助けるのが、このオーケストラの活動の大変大きな部分でもある。この活動を行うため、彼等は1998年の夏、横浜で学生のミュージシアンの為の研修を行った、日本の様なジャズの砦を再び訪れ、又新天地を開くため中国を訪れるのだ 。 Marsalis の考えでは、こうした活動は、ミュージシアンと音楽愛好家、両者にとって双方にメリットがあるとしている。
「ジャズは他のどんな音楽を出されても、ジャズの表現の中に結合させてしまうという不思議な能力を持っています。丁度Duke Ellingtonが世界中を旅行した時、彼が見たものや聴いた音を結合させて、”The Far East Suite"を作った様にです」ギブソンは説明する「中国での我々自身の体験が自分達自身の生活や、将来演奏する全てのものを豊かにしてくれると思っています。Charlie Parker が言っているように”If you don't live it,it won't come out of your horn"なんです。
アジア音楽は既にジャズに貢献してきていますし、我々はこのような文化交流を出来るだけ沢山続けるつもりです」ギブソンは、またこの「ギブ・アンド・テイク」はジャズは「ジャズが分かっているんだという特別な人々の為のもの」という不幸な認識を払いのけるのに役立つことを願っている。「音楽は色々違ったレベルの人々に働きかけます。中には高度に洗練された音楽のレベルで、捉える人達が一部にはいます。全てのハーモニーを聴いて、サキソフォン奏者がEフラット7を出そうとして失敗したら、それが分かります。でも、その他の人々は、その奏者がずっとスイングしていたと聴きます」とギブソンは言う「ジャズ・ミュージックは人の気分をよくするんです。それはジャズがブルーズに根ざしているからなのです。ブルーズはジャズのエッセンスです」ギブソンはMarsalisがよく使う比喩で説明する「天然痘を予防するには、本当に疱瘡を接種するんです。悲しい、憂鬱な気分を追い払うには、幸せな気分にしてくれるブルーズを聴いたり演奏したりするんです。悲しい気分を遠ざけて、うっちゃるんです。
誰も嫌な気分になりたくはありません。皆、いい気分になりたいんです。」